第6章 分散された認知
主張1
人間は物理的世界の中で機能する。 われわれは物理的世界や他者を情報源として、リマインダーとして、そしてより普遍的には知識システムや推論システムの拡張として使っている。人々は一種の分散された知として機能しているのである。
正しいアプローチというのは、世界に構造を与え、どうでもよい些細なことは覚えておかなくても済むようにすることである。そうすれば、テクノロジーによる支援などという問い立ては二度としなくても済む。「解決法」そのものが、不要になるのである
世界の構造が分散された知として機能することで、記憶や計算の負荷をかなり軽減してくれるのである。
世界にある情報とは、一種のデータ貯蔵庫と考えることができる
根拠
仕事においては、人的な側面こそが数多くの組織の機能を円滑に保ち、そのシステムの中で絶え間なく生じる問題やエラーを絶妙に補ってくれている
エラーの発見とその修復を通じて、社会的コミュニケーションと訓練の機能が増強される
状況への気づき(situation awareness)
仕事を共有する上で決定的なのは、ものごとがどのような状態にあるのかを、常に全員に完全に把握させておくことである。
結論
環境とタスクの側を人間に適合させる
人は豊かで変化ある環境でこそ、効果的に活動できる。
主張2
身体性を離れ世界と切り離された知の主体が知的に行動するためには、膨大な量の知識と深く考え抜かれたプランや意思決定、効率的な記憶の保持や検索というものが必要になる。
テクノロジーの何らかの側面が、われわれに日常生活ではほとんど重要でない正確さと精密さを要求している。にもかかわらず、われわれは、自分たちの生活の方を歪めて、正確さなど必要ない場面においても、正確さばかりを気にする機械中心の見方に屈服している
人間の記憶のもろさをアーティファクトーーテクノロジーーーを使って克服しようとすると、われわれは、誰も望んでいない道へと迷い込み、法外な量の法外な正確さの情報によって手も足も出なくなってしまうのかもしれない。
われわれに代わってものごとを思い出してくれる小型で強力なコンピュータ、それもいつでも使えるほど充分に小型のコンピュータを発明するとよいのかもしれない。コンピュータではだめだというのなら、手首に付けられるほど小さな録音装置でもよい。しかし、こんなふうにひとたび考え始めると、われわれは、テクノロジー依存の永遠の連鎖という罠にはまり込んでしまうのだ
結論
身体性を離れた知は、豊饒な情報源を奪い取られている